尊敬する人①

 石田梅岩  
 「士農工商」の封建社会にあって、広く庶民に「あきない」の基本を説き、京都商道の開祖ともいわれている。
 梅岩は江戸時代中期の貞享二(一六八五)年、現在の亀岡市の農家に生まれる。子どもの頃から律儀でまじめな人だったらしく、生まれつきの理屈ぽい性格を改めようと努力した話や、奉公先のおばあさんから「たまには外に出かけてみたら」と夜遊びをすすめられたエピソードなどが残されている。
 梅岩は十一歳の頃から京都の呉服屋へ奉公に出されいる。仕事のかたわらで「自分とは何か」「人間はいかに生きるべきか」などを真剣に考えるようになり、早朝から窓辺に向かっては書物を読み、夜もみなが寝静まった後に勉学にいそしむなどして、ついに京都車屋町御池上ルの借家に念願の講座を開いた。梅岩四十五歳のことだったという。

 梅岩の教えは「石門心学」と呼ばれている。儒教や仏教、日本古来の神道の思想を取り入れたもので、当時は憎むべきものとされていた商人の営利活動を積極的に認め、勤勉と倹約を奨励しました。彼のこうしたポジティブな考え方が、先取の気概にあふれた京都の町衆に広く受け入れられた。

  梅岩は代表作である「都鄙問答」「倹約斉家論」